100年の信頼と伝統
創業当時
- 明治38年
明治38年1月、酒本直吉氏が和歌山市海草郡下津町において日用雑貨、建設資材、石油製品販売の酒直百貨店として発足。
当初は一文菓子屋を細々と始めたのがその起こりであると言われています。下津の店は百貨店、現在のスーパーとして酒、瀬戸物、食料品、缶詰、砂糖、塩、ゴマ油など、電気製品、たばこ、多々の雑貨商品を扱い、現在の酒直の基礎を作りました。
終戦、復興へ
- 昭和20年
2代目 酒本直一氏は終戦直後に和歌山城天守閣に登り、廃墟と化した街を展望。
「これからの復興にはセメントがいる。道路が整備されれば車両が増える。油がいる。必ずセメントと石油が復興の寵児となるに違いない。よし、この2つを取り扱おう。」と決意し、セメント、石油の特約権を取る動機となりました。
- 昭和24年
昭和24年1月、株式会社酒直商店に改組し、和歌山市雑賀町3番地に本店を設置。
ここが酒直和歌山の発祥地であると言われています。- 昭和27年
直一氏が和歌山城から街を眺めた際、この土地には将来性があると判断し、本店を現在地に移し和歌山給油所を併設した。 当時和歌山には3階建の建物は少なかったそうです。
高度経済成長期から平成
- 昭和38年
仕事の毎日で社員が家族を犠牲にしていることを大いに反省した直一氏は、中小企業で全国初めての週休2日制を実行した。
土曜は趣味の遊び、日曜は家族サービスに努めよとの思いで実施され、週休2日実施当初は、本社玄関には 「週休2日にご協力お願い申し上げます」の張り紙がされていました。
- 昭和40年
株式会社酒直商店を「株式会社 酒直」に改称。
大阪、堺、貝塚、和歌山、下津、田辺、新宮に各出張所を開所。当時、資本金1200万円、従業員は78名でした。- 昭和46年
本社ビル建設開始。
直一氏は15階建てのビルを強固に希望されましたが、当時の消防署には高層用の消防車がなくやむなく断念されたそうです。- 昭和49年
直一氏が入院中、病院の窓から下を見て、酒直の車が見えないと感じ、車のボンネット、屋根、サイドドア、後ろの荷物台に大きな文字で酒直とすぐに書けと指示。
「将来は建物が高くなる。下を覗いて、ああ、酒直の車が走っている。これが大きな営業の後押しに必ずなる。」との一言で全車に書きました。それまでは酒直は酒屋さんかと言われてきたのが一夜に変わったと言われ、営業マンが酒屋と間違われないのでありがたいと感謝したそうです。
ダッシュボードには「スピード出すな、むりするな」の標語が書かれていました。
現在へ
- 平成5年
平成5年1月 テレビ和歌山にてテレビコマーシャル放映開始
- 平成17年
平成17年1月、酒直は100周年を迎えました。同年5月、2日間で約20,000名がご来場された「酒直フェスタ in マリーナシティ」を開催し、地域の皆様と共に100周年祭を催しました。